熱力学とは?

熱力学とは、ミクロな粒子を大量に集めたマクロな系を想定し、粒子のミクロな振る舞いにまったく着目せずに、その系がどのような平衡状態に達するかを計算することができる学問と言える。熱という言葉が入っているのでエネルギーや温度もしくは仕事などに関心を向けた学問かと思うかもしれないが、むしろマクロな系の平衡状態に着目した汎用的な物理学の一流儀であると言ったほうがよい。

熱力学はうまくできているので、個々の粒子(原子や分子)についての計算はすべて無視するのだが、基本的な変数をうまく設定し偏微分によって必要な形に整えることにより矛盾なく平衡状態を計算することができる。内部エネルギー、物質量、体積を変数として設定するだけで系が将来どのような状態で落ち着くか予測することができるのである。今のところミクロな系の物理学である古典力学や量子力学、そしてミクロとマクロを結びつける役割を担っている統計力学と熱力学はまったく矛盾しないことが示されており、「前置きはいいから、結果だけ教えて」と言って憚らない技術者たちを魅了してやまない訳である。

高校や大学で物理を履修したことがあれば分かると思うのだが、例えばニュートンがすべての状態を予測できると信じていた運動方程式を、マクロな系で解くのは不可能である。変数と方程式の数があまりにも多すぎるのだ。例えばある容器の中に1モルの水素、つまり602垓個の水素分子を詰め込んだ典型的にマクロな系を運動方程式だけで解こうとしよう。602垓個の水素分子の初期位置、初速度、受けている力や適当な拘束条件etc.をひとつひとつ入力し、602垓元連立方程式を解かなければならない。しかもごくわずかな誤差が結果に大きな影響を与えてしまうことが分かっているので(カオス理論または比喩的にバタフライ効果)、初期条件の入力における誤差は許容されない。無理でしょ・・・。

熱力学ではマクロな系の運動方程式を解くという原理的に極めて困難な過程を経ることなく、圧力や体積といったマクロな系に現れる基本的な変数のみを求めることができるため、工学をはじめ現実的な規模の物理問題を解くことに広く応用されているのである。

一方、マクロな状態でも非平衡状態から平衡状態に遷移する途中の状態(遷移状態)や、非平衡状態そのものは熱力学では解くことができないので、別の学問体系が必要となる。マクロな系の非平衡状態を解く学問として代表的なものが例えば流体力学であり、熱力学と流体力学を組み合わせて地下貯留層流体の流動を再現または予想する工学として実用化したのが貯留層工学(油層工学)である。

油からガスが発生しない1相の状態など、ある大胆な仮定の下ではいわゆるダルシーの法則を用いた流体力学だけで貯留相流動が表現できてしまうのだが、メタンガスや二酸化炭素またはポリマーなどを用いた増進回収法enhanced oil recovery(EOR)を考えるならば熱力学による相挙動を考慮したモデルを用いることが不可欠である。21世紀型の貯留層技術者を目指すのであれば、熱力学は避けては通れない道のりなのでなんとか突破してほしい。最後にもう一度言及しておくが、熱力学を石油工学に持ち込んだ目的は、相というものを定量的に評価するためである。

表1. 物理学の基礎理論についての分類

ミクロ系の理論 ミクロとマクロを繋ぐ理論 マクロ系平衡状態の理論 マクロ系非平衡状態の理論
古典力学

真空中の電磁気学

量子力学

場の量子論

統計力学

非平衡系統計力学(未)

熱力学 流体力学

物質中の電磁気学

非平衡系熱力学(未)

*上記表は清水明「熱力学の基礎」をもとに筆者作成