2017年(上)読書の話
2017年の上半期に読んだ本の感想。
☆☆☆:未読または読み途中
★☆☆:うーん。
★★☆:ふつう。
★★★:満足。
- 丸善でジャケ買いした本。成田でも見かけた。香港社会の最新レビュー本として秀逸。雨傘運動と呼ばれる昨今の民主化運動とその背景になっている政治や経済を取り巻く状況がコンパクトかつ正確にまとまっており大変勉強になる。香港返還前後から現在に至るまでの歴史の言及も適切であり、英国、中国の各政府がそれぞれの時代に何を香港に求め、その結果何が起こったのかざっくりと知ることができる。中共との歴史的な関係と彼らの基本的な考え方についてはエズラ・ボーゲルの著書などがより詳しいが、香港だけに注目するなら実用上本書で十分だろう。香港は猛烈な変化を常に強いられてきたことのある意味代償として今日まで繁栄を続けてきたが、その将来は決して楽観できないものであることを改めて突きつけられる。
★★★ 「空気」の研究, 山本七平
- 絶対視によるアンタッチャブルゾーンを生み出してしまう日本的思考回路に対する考察の書。御託も多いが含蓄のある文章に富んでいる。日本社会は、絶対的存在を意識的、無意識的に生み出しその心理的影響を強く受けがちであると指摘。筆者曰く、西洋は割と相対的な世界であって、宗教を除くと絶対化の例はあまりないとのこと。確かに、日本では八百万の神というだけあって、何でもたやすく絶対化されうる。絶対悪、絶対善のようなものが形成されると、それらが読むべき空気の源泉となってしまい、いかなる理性や議論も意味を持たなくなるという理屈である。本音と建前の矛盾もここから来るのだろう。著者が対象の臨在感的把握(物に何かがあるように感じて心理的な影響を強く受けたり感情移入すること)と呼ぶ行動も、物に魂が宿るという感性を持つ日本人であれば感覚的に理解できる訳で。そう言えば、ぬいぐるみや写真をゴミ箱に捨てることを躊躇してしまう日本人は多いと思うが、西洋では物は物であって人形供養みたいな習慣はないという。この辺りが空気の支配する世界と西洋合理主義の違いなのかも知れない。
★★★ 失敗の本質, 戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎
- 太平洋戦争で日本軍が敗れた原因を意思決定という観点から詳しく考察した名著。初版が昭和59年とやや古い本だが、著者らが日本的組織に内在する普遍的な問題点を提起することを意図しただけあって現在でも通用する内容となっている。日本軍(すなわち日本的組織)とは、「官僚制のなかに情緒性を混在させ、インフォーマルな人的ネットワークが強力に機能するという特異な組織である」という指摘などを見るに、本書が組織論の教科書としていたるところでいまだに言及されている理由がよく理解できる。この辺りは「空気」の研究も併せて読むと面白い。また、「日本軍の最大の失敗の本質は、特定の戦略原型に徹底的に適応しすぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまった。」とも論じており電機大手をはじめとする日本企業の相次ぐ失速、外資による買収を招来した原因究明にも応用できるはずである。
★★☆ 「待つ」ということ, 鷲田清一
- 人生のあらゆる場面で現れる待つという営みを深く掘り下げた本だがかなり難解。待つ行為が本質的に苦痛であることを明らかにした上で、人がそこに向き合うときにいかなる知恵が用いられているのかを逡巡しながら解き明かそうとしている。終わり方はやや唐突だが、本文が難解である分救われるような感じもある。苦悩の根源である待つという行為を考察することは、人生とは何かという哲学的な問に答えてくれそうな気がする。
- 成田でジャケ買いした新書。日中関係を手っ取り早く勉強したいならばまずは本書をオススメしたい。実に理知的な分析が展開されており、元大使自身よく勉強されているからだと思うが考察にも説得力がある。ありがちな自分語りが過ぎることもなく、文書もこなれていて大変読みやすい。タイトルは習近平国家主席にスポットを当てたようなものになっているが、直近の日中関係全般からバランスよくトピックを選定している。ビジネスマンから中国大使に抜擢された筆者の非凡さが垣間見れる一冊である。
★★☆ 日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったのか, 岩瀬昇
- 古い文書をつぶさによく調べているが、「なぜ」に対する明快な答えが提示されているとは言い難い。技術にスポットを当てたいのか、組織論にスポットを当てたいのか、それとも歴史にスポットを当てたいのか著者自身が決めきれていないことが原因か。「満州における日本の石油探鉱」のあとがきからの引用として、そもそも探鉱技術が未熟だったのだからアメリカの技術を導入すべきだったのに外交的な判断でそれが叶わず、結局独自路線に走らざるを得なくなった、という旨の記述があるが、あまり示唆的でない。オイルマンだった著者のメッセージはむしろ「油断国断」なる言葉に集約されており、エネルギーセキュリティの大切さを唱導するところにあると言えそうである。
★★★ 沈黙, 遠藤周作
- テーマである神の沈黙(信仰とは何かという問題)に加えて、日本社会が持っている、外来の思想や文化を骨抜きにしてしまう不思議な作用にも焦点が当てられている。外国から輸入される文化の中には、表面上は好意的に日本社会に受容されたように見えるものがあるが、実は日本人に都合の良い解釈とアレンジが次第に加わって本質からかけ離れてしまう事が多い。前述の空気の研究では雨の作用と呼ばれ、本書でも根を腐らせる何かと表現されている。洋食、洋服、ポップミュージック、クリスマス、ハロウィン、愛、民主主義など、雨の侵蝕作用によって日本化されたものは多そうである。本書は外国人宣教師の目から見た変質を強いられるキリスト教が描かれていたが、日本語の変遷なんかを見ると、実は日本社会自体も雨によって絶え間なく変質させられているのかも知れない。余談だが、「空気」の研究を書いた山本七平も本書の遠藤周作同様、洗礼を受けたクリスチャンであることは興味深い。クリスチャンだからこそ見える日本文化の特異性や西洋キリスト教社会との矛盾みたいなものがあるのかな。
★★☆ Ghetto at the center of the world, Gordon Mathews
- 香港の重慶大厦(映画「恋する惑星」に出てきた、チョンキン・マンションのこと)について文化人類学的な視点からまとめた本。あまり目新しいことは書いてないが、そこで活動する無数の人間へのインタビューを通じて蒐集されたエピソードたちは生々しくとても興味深い。日本のアマゾンで購入したペーパーバックだが、輸入書ではなくアマゾンが日本で製本したものであるらしいことに驚き。
- ※重慶大厦は香港人が決して近づかない場所の一つである。これは危険だという先入観のせいもあるが、そもそも両替、安宿、エスニックフード、途上国向け貿易サービスの拠点たる重慶大厦に香港人は何の用もないのである。その意味では重慶大厦はもっとも香港らしからぬ場所である。しかしまた一方で、重慶大厦が高密度な人種のるつぼであり、雑然としたダイバーシティの権化であることを考えると、もっとも香港らしいとも言える。著者はローエンド・グローバリゼーションの象徴的存在と言っている。ちなみによく引き合いに出される九龍城砦と重慶大厦は成り立ちも役割もまったく異なるため両者を同列に扱ってはならない。九龍城砦は英領香港において中国大陸の治外法権が及ぶ飛び地的な場所として成り立ち、以後取り壊されるまで一貫して純粋的中国世界であった。一方の重慶大厦は一等地の高級オフィスとして竣工し、現在は世界各国から訪れる貿易商人や旅行者向けのサービス拠点としてグローバルな機能を担っている。ただ、九龍城砦なき後、高密度な香港的混沌の象徴としての役割を重慶大厦に与えるのはありだと思う。
★☆☆ 男たちへ, 塩野七生
- 呼びかけられているようなタイトルに惹かれ、塩野七生ファンとしては見逃す訳にはいかぬと読み始めたエッセイ集。男たちへと題してはいるが実際に訴えたかったのは、むしろ日本の女性に対する意識改革のように思える。それくらい本書において著者が男というものを本気で掘り下げようとする意図は希薄である。立ち振る舞い、肉体、服装といった表面的な部分についての注文が、男女の違いを横軸に、日本とヨーロッパの違いを縦軸に次々と繰り出されるが、世の東西を問わず多くの男が熱中するスポーツや賭け事などの娯楽や、酒タバコの類の嗜みについては何も建設的な言及がない。そういったものを媒介に培われる男同士の友情を語らずして、男女間の対比構造、東西の対比構造の枠組みの中に男の存在範囲を決めつけてしまっており、何かを見失っている気がしてならない。執筆時と比べてヨーロッパがカジュアル化したからか、日本が西洋化したからか、現状と合致しないような前提で展開しているエッセイも多く、ということはあまり普遍的な議論ではないのかなとも感じた次第。
★★★ 赤い心, 新井貴浩
- 広島カープの新井貴浩選手が2015年シーズン終了後に書いた本。私はアメリカに行く前までアウェー球場の三塁側内野席でときおり阪神戦を観戦していたので、新井選手はサードを守っている姿や、右打席からの放物線をしばしば見せてくれた思い出深い選手の一人だ。打席に立ったときの実際の様子、選手同士の絆、行動哲学、苦悩、組織の内情など、テレビや記事では窺い知れぬ部分を暴露してくれて、実に面白い読み物だった。怪我をしているときに、ちょっと動くだけでも激痛が走る状態なのに、打席でそれを悟られないようわざと悠然とした様子で審判にタイムを要求し、マシになった瞬間を待って打っていた、みたいな話はもう壮絶としか言いようがない。本書の題名は広島での応援歌の歌い出しだよね。まさかまた聴ける日が来ようとは。
☆☆☆ World Order, Henry Kissinger
- 機内用に購入したが未読。次のレビューまでに読む。