ハロウィンとバブルの話
ハロウィンの時期、街を歩いているとガチで恐ろしい仮装や装飾に出会うことが多くアメリカに住む人たちのハロウィンにかける意気込みは並々ならぬものだと感じる。子供たちも楽しそうである。
日本でもこの時期ハロウィンで大いに盛り上がっているというニュースを聞く。面白いのは日本のハロウィンは仮装大会としての性格が強いということだ。
ハロウィン自体はもともとアイルランドやイギリスの文化だそうだが、仮装するのは米国が本場なので、日本のハロウィンはヨーロッパ経由ではなく、どうやらアメリカからの文化輸入みたいである。
しかし、ハロウィンが突然日本で定着し始めたことに何となくもやもやする。
なぜ今? そしてなぜハロウィン?
なんにせよ季節感のある催しは良いものだと思うのだが、東京にいる弟からLineで日本のハロウィンはバブルみたいだよ、というメッセージをもらってハッとした。
おー、これはまさしくバブル文化の二番煎じだわ。
バブル期の文化というのは、ジャパナイズされたアメリカ化だと思う。
当時の海外旅行先と言えばハワイと西海岸(驚くべきことに「ロス」と「シスコ」が大人気だったらしい。信じがたい。)が定番であり、海外赴任先と言えばニューヨーク。私の大好きなハートカクテルというアメリカかぶれのオサレな漫画が流行ったり、アメリカのFM局そっくりのJ-WAVEなるラジオ局が開局したり(東京でおなじみの「81.3 J-WAVE~」というジングルはサンフランシスコでの「96.5 KOIT~」とまったく同じノリである)、ハリウッドスターが日本のテレビCMを席巻したり。
で、日本が完全にアメリカ化したかと言えば全然そんなことなくて、今に至るいわば珍妙な文化が残った。
それがダメだとか言いたいわけではなく、外国の文化風俗が混ざり合ってできる新しいものには古来から不思議な魅力があると思う。多分、文化が混ざり合う場所の渦中にいる人は、純粋に外部の良いものを必死に取り入れようとしてるのだろうけど、結果的になんか変なものができるのだろう。
話が微妙に逸れたので戻すと、憧れの人の真似をつい無意識にしてしまうように、バブル期の日本ではアメリカを吸収してやろうという意気込みが自然だったろうが、現代ではアメリカに対する意識が大きく変わってしまい、アメリカの真似をすることにコンセンサスを得られにくい状況だと思う。これはアメリカが大好きないわゆる意識高い系(Apple、スタバ、TED、Twitter、Facebook …みんなアメリカ合衆国の文化だ!)と、それを揶揄する層とが拮抗していることからも明らかであろう。多分、意識高い系はハロウィン好きだと思う。
つまり今般の日本でのハロウィン推しにかすかな違和感を覚えるのは、戦後におけるアメリカ一辺倒の日本の文化輸入が最円熟期を迎えた瞬間としてのバブルの二番煎じで、必然性に欠けるからかだろう。
あと、本人たちは頑張って真似たつもりでも結果的に日本独自な珍妙なものができつつあることも間違いない。その珍妙さが後々味になるんじゃないかな。
新しい文化の誕生を祝して、今日はこれにて。