ブレードランナーを見た話
Googleの囲碁対戦用人工知能AlphaGoが最強棋士と言われるイ・セドルを圧倒している。
技術的な成果に対する賞賛と合わせて、人工知能やロボットとは何かという議論がこれから盛り上がっていくのだろう。
そんな中、今一度SF映画の古典的傑作と呼ばれるブレードランナー(1982年リドリー・スコット監督)を鑑賞した。私自身は人工知能と人間の違いとは欲望を持つか否かだと思っている。一緒に鑑賞した友人はその違いを恐怖を持つか否かではないかと言っていた。
彼の定義を採用すると、映画の中でレプリカントと呼ばれるアンドロイド(生体ロボット)は紛れもなく人間であろう。なぜなら彼らが創造主たる人間に戦いを挑んだのは人間によってあらかじめ設定された寿命が尽きることを恐れたからである。人類文明を豊かにすべく道具に過ぎないコンピュータが、自発的な行動の動機となるような欲望や恐怖と言った動物的な本能を手に入れる日は来るのであろうか。私は人工知能にそのような本能を持たせる蓋然性はないと思っているので人間社会vsコンピュータという利害の対決は起こり得ない気がするが興味深い話題ではある。
レプリカントのリーダー、バッティが残す最期の台詞を引用しておく。
I’ve seen things you people wouldn’t believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhauser gate. All those moments will be lost in time… like tears in rain. Time to die. (Replicant Roy Batty)
俺はお前らの想像を絶するものを見てきた。ベテルギウスの近くで火を上げるバトルシップ、漆黒のタンホイザーゲートで放たれたきらめくCビーム。そんな記憶も過ぎ行く時間の中で消えていく。雨の中で流す涙のように。これが生きるということだ。
もし、自らの死に臨んでこのような台詞を自発的に残すアンドロイドが現れたならば、人類は生命を理解したと言えるだろう。