日月星に隠された秘密の話
香港島の素敵な地名たち
日本に一時帰国するときに香港を経由することになった。久しぶりに地図を眺めていると、香港島のある下町の一角に日街、月街、星街という洒落た名前の通りが交差している場所が目に留まった。これらの素敵な地名は三字経と呼ばれる古文書の、
三才者 三才(さんさい)とは
天地人 天地人(てんちじん)
三光者 三光(さんこう)とは
日月星 日月星(じつげつせい)
という句から取られているそうである。ちなみにその一帯は1890年に香港で初めて発電所が置かれた場所で、近くに電氣街、光明街という地名もある。つまり、電気が三光の如く光明を街にもたらす、ということ祈念してつけられた地名とのことだ。
三字経とは?
三字経とは中国の宋代に作られたと言われる初学者用の教本である。中世における国語の教科書のようなもので、漢字とその発音、儒教的思想や歴史について学べるようになっている。日本で言えば、いろは歌+道徳+日本史の教科書を一冊にした感じだろうか。
ここでは、その本文と通釈・注を大修館書店のウェブサイトから引用(加藤敏・千葉大学教育学部教授著)し、テクノロジーの力(ResponsiveVoice.JS)を借りて北京語で発音できるようにしてみた。
基本的に四句でひとまとまりとなっており、第二句と第四句が押韻している場合が多いとのこと。
儒教については賛否両論が存在するので、とりあえずは知識の対象として閲覧するのがよいと思う。
三字経の本文
人之初 人(ひと)の初(はじ)め
性本善 性(せい)本(もと)善(ぜん)
性相近 性(せい)相(あひ)近(ちか)し
習相遠 習(なら)ひ相(あひ)遠(とほ)し
【通釈】人が生をうけたそのはじめ、人の性はもともと善である。本性は相似かよっているものの、習慣によって遠く隔たってしまう。
【注】○性本善=本性はもともと善である。『孟子』告子上に「人性の善なるや、猶ほ水の下きに就くがごときなり。人に善ならざるもの有ること無く、水に下らざるもの有ること無し。」とある。○性相近、習相遠=『論語』陽貨に「子曰く、性相近きなり、習ひ相遠きなり。」とあるのに基づく。
苟不教 苟(いやし)くも教(をし)へずんば
性乃遷 性(せい)乃(すなは)ち遷(うつ)る
教之道 教(をし)への道(みち)は
貴以專 専(もっぱ)を以(もっ)て貴(たふと)ぶ
【通釈】もし教え導かなければ、善なる性も変わってしまう。教えの道は、専一にすることを貴ぶのである。
昔孟母 昔(むかし)孟母(もうぼ)
擇鄰處 鄰(となり)を択(えら)びて処(を)り
子不學 子(こ)学(まな)ばざれば
斷機杼 機杼(きちょ)を断(た)つ
【通釈】昔孟子の母は、学舎の隣りを選んで住み、子供が学ぶのを怠ると、機(はた)の杼を壊したという。
【注】○昔孟母、択鄰処=孟子の母親が、孟子のために住居を三度移したという、孟母三遷の教えを言う。はじめ家が墓に近かったので孟子は幼いころ葬式のまねをして遊んでいた。そこで、市場の近くに引っ越すと、今度は商売のまねをするようになってしまった。今度は学校のそばに引っ越すと、孟子は祭礼や礼儀のまねをしてするようになった。そこで、やっと住居を定めたという。○子不学、断機杼=学問を途中で廃してはならないという断機の戒め。孟母断機。孟子が学問を怠って家に帰ってくると、機織りをしていた母親が、織っていた織物を断ち切って、「学問を中途でやめるのは、私が織りかけの織物を断ち切るようなものだ。」ときつく戒めたという。ここでは、「杼(ひ)」を壊したことになっている。
竇燕山 竇燕山(とうえんざん)
有義方 義方(ぎほう)有(あ)り
教五子 五子(ごし)を教(をし)へ
名俱揚 名(な)倶(とも)に揚(あ)ぐ
【通釈】竇燕山は正道を持し、五人の子を教え、子供らは倶に名を挙げた。
【注】○竇燕山=竇禹鈞。五代末の人。○義方=守るべき正しい規範。子弟教育の正道。○教五子、名倶揚=竇禹鈞には五人の子(儀、儼、侃、称、僖)があり、父親の厳格な教育によって、のちに相次いで科挙に合格して大いに名をあげ、「竇氏五龍」と称された。
養不教 養(やしな)ひて教(をし)へざるは
父之過 父(ちち)の過(あやま)ちなり
教不嚴 教(をし)へて厳(げん)ならざるは
師之惰 師(し)の惰(おこたり)なり
【通釈】養うのみで厳しく教えないのは、父親の過ちである。教えながら厳格でないのは、教師の怠りである。
子不學 子(こ)として学(まな)ばざるは
非所宜 宜(よろ)しき所(ところ)に非(あら)ず
幼不學 幼(よう)にして学(まな)ばざれば
老何為 老(お)いて何(なに)をか為(な)さん
【通釈】子供であって学ばないのは、よろしいことではない。幼くして学ばなければ、老いて何ができようか。
玉不琢 玉(たま)琢(みが)かざれば
不成器 器(き)を成(な)さず
人不學 人(ひと)学(まな)ばざれば
不知義 義(ぎ)を知(し)らず
【通釈】天然の美質を持つ玉も磨かなければ、器物としての役に立たない。優れた素質を持つ人も学ばなければ、道理がわからない。
【注】○玉不琢、不成器。人不学、不知義=『礼記』学記に見える言葉。学問につとめなければ、立派な人物にはなれないことをいう。
為人子 人(ひと)の子(こ)と為(な)りては
方少時 少(わか)き時(とき)に方(あた)りて
親師友 師友(しゆう)に親(した)しみ
習禮儀 礼儀(れいぎ)を習(なら)へ
【通釈】人の子たる者、若い時にあっては、よい師につき、朋友に交わり、礼儀を習わなくてはいけない。
香九齢 香(こう)は九齢(きゅうれい)にして
能溫席 能(よ)く席(せき)を温(あたた)む
孝於親 親(おや)に孝(こう)あるは
所當執 当(まさ)に執(と)るべき所(ところ)なり
【通釈】黄香は九歳で自ら親の席を暖めることができた。親に孝であることは当然執り守るべきことである。
【注】○香九齢、能温席=「香」は、人名。黄香。後漢の人。九歳で母を失い、父親に孝養をつくし、「天下無双、江夏の黄童」と称された。彼は夏には扇いで親の席を涼しくし、冬には身を以て親の席を暖めたと言われる。
融四歲 融(ゆう)は四歳(しさい)にして
能讓梨 能(よ)く梨(なし)を譲(ゆづ)る
弟於長 長(ちょう)に弟(てい)あるは
宜先知 宜(よろ)しく先(ま)づ知(し)るべし
【通釈】漢の孔融は四歳にして兄に梨を譲ることができたという。年長者に従順であることは、先ず知らねばならない。
【注】○融四歳、能譲梨=「融」は、人名。孔融(一五三~二〇八)。後漢の学者。建安七子の一人。孔融が四歳の時、兄弟で梨を食べたことがあった。兄たちは梨を争うように食べたが、孔融は最後に、小さな梨を選んだという。
首孝弟 孝弟(こうてい)を首(はじめ)とし
次見聞 次(つぎ)に見聞(けんぶん)
知某數 某(それぞれ)の数(すう)を知(し)り
識某文 某(それぞれ)の文(ぶん)を識(し)る
【通釈】孝と弟を第一とし、次に見聞をひろめ、それぞれの数とそれぞれの文とを学んでゆく。
【注】○孝弟=親に孝を尽くすことと年長者に従順であること。
一而十 一(いち)よりして十(じゅう)
十而百 十(じゅう)よりして百(ひゃく)
百而千 百(ひゃく)よりして千(せん)
千而萬 千(せん)よりして万(まん)
【通釈】一から十、十から百、百から千、千から万に及ぶ。
三才者 三才(さんさい)とは
天地人 天地人(てんちじん)
三光者 三光(さんこう)とは
日月星 日月星(じつげつせい)
【通釈】三才とは天地人、三光とは、日月星である。
三綱者 三綱(さんこう)とは
君臣義 君臣(くんしん)の義(ぎ)
父子親 父子(ふし)の親(しん)
夫婦順 夫婦(ふうふ)の順(じゅん)なり
【通釈】三綱とは、君臣の義、父子の親愛、夫婦の和順をいう。
【注】○義=君主が臣下を礼をもって遇し、臣下が忠を尽くすことをいう。○親=父が子を慈しみ、子は父に孝を尽くすことをいう。
曰春夏 曰(い)はく春夏(しゅんか)
曰秋冬 曰(い)はく秋冬(しゅうとう)
此四時 此(こ)の四時(しいじ)
運不窮 運(めぐ)りて窮(きは)まらず
【通釈】春夏秋冬、この四時はめぐって窮まることがない。
曰南北 曰(い)はく南北(なんぼく)
曰西東 曰(い)はく西東(せいとう)
此四方 此(こ)の四方(しほう)
應乎中 中(ちゅう)に応(おう)ず
【通釈】南北、西東、この四方は、中央に対応している。
曰水火 曰(い)はく水火(すいか)
木金土 木金土(もくきんど)
此五行 此(こ)の五行(ごぎょう)は
本乎數 数(すう)に本(もと)づく
【通釈】水火木金土、この五行は、数に基づいている。
【注】○五行=万物を生成する五つの元素。
曰仁義 曰(い)はく仁義(じんぎ)
禮智信 礼智信(れいちしん)
此五常 此(こ)の五常(ごじょう)は
不容紊 容(まさ)に紊(みだ)るべからず
【通釈】仁義礼智信、この五常は、乱してはならない。
【注】○五常=人が常に行わなければならない五つの道。○容=まさに…すべきである。○紊=乱す。
稻粱菽 稲粱菽(とうりょうしゅく)
麥黍稷 麦黍稷(ばくしょしょく)
此六谷 此(こ)の六穀(りくこく)は
人所食 人(ひと)の食(くら)ふ所(ところ)
【通釈】稲粱菽麦黍稷、この六穀は、人が食べるものである。
【注】○粱=あわ。○菽=まめ。○黍=もちきび。○稷=うるちきび。※「六」は、「五」に作るテキストもある。
馬牛羊 馬牛羊(ばぎゅうよう)
雞犬豕 鶏犬豕(けいけんし)
此六畜 此(こ)の六畜(りくちく)は
人所飼 人(ひと)の飼(か)ふ所(ところ)
【通釈】馬牛羊鶏犬豕、この六畜は人が飼うものである。
【注】○豕=ぶた。
曰喜怒 曰(い)はく喜怒(きど)
曰哀懼 曰(い)はく哀懼(あいく)
愛惡欲 愛悪欲(あいおよく)
七情具 七情(しちじょう)具(そな)はる
【通釈】喜怒哀懼愛悪欲、人にはこの七情がそなわっている。
匏土革 匏土革(ほうどかく)
木石金 木石金(ぼくせききん)と
與絲竹 糸竹(しちく)と
乃八音 乃(すなは)ち八音(はちおん)
【通釈】匏土革木石金と糸竹とは、八種類の楽器である。
【注】○匏=ひさごで作った笙などの楽器。○土=土を焼いて作った楽器。○革=革を張った鼓などの楽器。○木=木製の楽器。○石=石で作った楽器。○金=金属で作った鐘などの楽器。○糸=琴などの弦楽器。○竹=笛などの楽器。○八音=八種類の楽器。
高曾祖 高曾祖(こうそうそ)
父而身 父(ちち)よりして身(み)
身而子 身(み)よりして子(こ)
子而孫 子(こ)よりして孫(まご)
自子孫 子孫(しそん)より
至玄曾 玄曾(げんそう)に至(いた)る
乃九族 乃(すなは)ち九族(きゅうぞく)
人之倫 人(ひと)の倫(りん)なり
【通釈】祖父の祖父、曾祖父、祖父、父、我が身、子、孫、ひ孫、やしゃごは、九族であり、人の世代の順である。※「玄曾」は、「曾玄」に作るテキストもある。
父子恩 父子(ふし)は恩(おん)
夫婦從 夫婦(ふうふ)は従(じゅう)
兄則友 兄(けい)は則(すなは)ち友(ゆう)
弟則恭 弟(てい)は則(すなは)ち恭(きょう)
長幼序 長幼(ちょうよう)序(じょ)あり
友與朋 友(ゆう)と朋(ほう)と
君則敬 君(きみ)は則(すなは)ち敬(けい)
臣則忠 臣(しん)は則(すなは)ち忠(ちゅう)
此十義 此(こ)の十義(じゅうぎ)は
人所同 人(ひと)の同(おな)じくする所(ところ)なり
【通釈】父子の恩愛、夫婦の和順、兄は慈しみ深く、弟は恭しく、年長者と年少の者の間には順序があり、友には信をもって交わり、朋には誼をもってし、君は敬、臣は忠を尽くす。この十義は人が同じく守るべきものである。
【注】○長幼序、友与朋=『孟子』滕文公上に「長幼序あり、朋友信有り」とあるのに基づく。○十義=人が守り行うべき十種の道徳。父の慈、子の孝、夫の和、妻の順、兄の愛、弟の恭、朋の誼、友の信、君の敬、臣の忠。また、『礼記』礼運には、父の慈、子の孝、兄の良、弟の弟、夫の義、婦の聴、君の仁、臣の忠、とある。
凡訓蒙 凡(およ)そ蒙(もう)に訓(をし)ふるは
須講究 須(すべか)らく講究(こうきゅう)すべし
詳訓詁 訓詁(くんこ)を詳(つまび)かにし
明句讀 句読(くとう)を明(あき)らかにす
【通釈】そもそも道理にくらい者を教え導くには、物事を調べきわめなくてはいけない。字句の意味をつまびらかに解釈し、句読を明らかにするのである。
【注】○蒙=幼児など道理にくらい者。
為學者 学(がく)を為(な)す者(もの)は
必有初 必(かなら)ず初(はじ)め有(あ)り
小學終 小学(しょうがく)終(をは)りて
至四書 四書(ししょ)に至(いた)れ
【通釈】学問をするには必ず初めがある。『小学』が終了してから四書に至るのである。
【注】○小学=書名。南宋の学者、朱子の門人であった劉子澄の著。また、文字、訓詁の学。○四書=『大学』・『中庸』・『論語』・『孟子』。
論語者 論語(ろんご)は
二十篇 二十篇(にじっぺん)
群弟子 群弟子(ぐんていし)
記善言 善言(ぜんげん)を記(しる)す
【通釈】『論語』は、二十篇。孔子の多くの弟子たちが道にかなったよい言葉を記したものである。
【注】○論語者、二十篇=『論語』は、学而、為政、八佾、里仁、公冶長、雍也、述而、泰伯、子罕、郷党、先進、顔淵、子路、憲問、衛霊公、季氏、陽貨、微子、子張、堯曰の二十篇よりなる。
孟子者 孟子(もうし)は
七篇止 七篇(しちへん)にして止(や)む
講道德 道徳(どうとく)を講(こう)じ
說仁義 仁義(じんぎ)を説(と)く
【通釈】『孟子』は七篇、道徳と仁義とを説いている。
【注】『孟子』は、梁恵王、公孫丑、滕文公、離婁、万章、告子、尽心の七篇よりなる。
作中庸 中庸(ちゅうよう)を作(つく)るは
乃孔伋 乃(すなは)ち孔伋(こうきゅう)
中不偏 中(ちゅう)にして偏(かたよ)らず
庸不易 庸(よう)にして易(か)はらず
【通釈】『中庸』を作ったのは、孔伋。その説くところは中正でかたよることがなく、永に変わることがない。
【注】○孔伋=孔子の孫の子思(前四九二?~前四三一?)。名は、伋。子思は、字。○中不偏、庸不易=この二句は、「中は偏らず、庸は易はらず」とも読まれる。※「孔伋」は、「子思」に作るテキストもある。「乃孔伋」は、「子思筆」に作るテキストもある。
作大學 大学(だいがく)を作(つく)るは
乃曾子 乃(すなは)ち曾子(そうし)
自修齊 修斉(しゅうせい)より
至平治 平治(へいち)に至(いた)る
【通釈】『大学』を作ったのは曾子。身を修め、家をととのえることから、天下を平定し国家を治めるに至る条目を説いている。
【注】○曾子=孔子の弟子の曾参(前五〇五?~前四三五?)字は、子輿。○自修斉、至平治=『大学』は、学問はなんのためにするかを述べた書で、その条目として、格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下の八つを挙げている。
孝經通 孝経(こうきょう)通(つう)じ
四書熟 四書(しょしょ)熟(じゅく)し
如六經 六経(りくけい)のごとき
始可讀 始(はじ)めて読(よ)むべし
【通釈】『孝経』に通暁し、四書を熟読して、はじめて六経を読むべきである。
【注】○孝経=書名。孔子と曾子の問答の形で孝について説いた書。
詩書易 詩書易(ししょえき)
禮春秋 礼春秋(れいしゅんじゅう)は
號六經 六経(りくけい)と号(ごう)す
當講求 当(まさ)に講求(こうきゅう)すべし
【通釈】『詩経』『書経』『易経』『周礼』『礼記』『春秋』は六経という。よく研究し考え求めなければならない。
【注】○六経=『詩経』『書経』『礼記』『楽記』『易経』『春秋』。ここでは、『楽記』の代わりに『周礼』を挙げている。
有連山 連山(れんざん)有(あ)り
有歸藏 帰蔵(きぞう)有(あ)り
有周易 周易(しゅうえき)有(あ)りて
三易詳 三易(さんえき)詳(つまび)らかなり
【通釈】連山があり、帰蔵があり、周易があって、この三易において易はつまびらかにされている。
【注】○連山=夏の時代の易の名。○帰蔵=殷の時代の易の名。○周易=周代の易の名。
有典謨 典謨(てんぼ)有(あ)り
有訓誥 訓誥(くんこう)有(あ)り
有誓命 誓命(せいめい)有(あ)り
書之奧 書(しょ)の奥(おう)なり
【通釈】典謨があり、訓誥があり、誓命がある。これが『書経』の奥義である。
【注】○典、謨、訓、誥、誓、命=書経の文体の名。
我周公 我(わ)が周公(しゅうこう)
作周禮 周礼(しゅらい)を作(つく)り
著六官 六官(りくかん)を著(あらは)して
存治體 治体(ちたい)を存(そん)す
【通釈】我が周公は、『周礼』を作り、六官を著録して、治国の綱領を残した
。 【注】○周公=周公旦。周の武王の弟。周王朝の基礎を築いた。○六官=冢宰、司徒、宗伯、司馬、司寇、司空をいう。国の政治を担当する官。
大小戴 大小戴(だいしょうたい)
註禮記 礼記(らいき)を注(ちゅう)し
述聖言 聖言(せいげん)を述(の)べて
禮樂備 礼楽(れいがく)備(そな)はる
【通釈】戴徳と戴聖は『礼記』に注し、聖人の言葉を祖述して、礼楽制度がここに備わることとなった。
【注】○大小戴=戴徳と戴聖。前漢の学者。戴徳は、大戴と称される。その著『大戴礼』は一部が伝わっている。戴聖は、戴徳の甥で、小戴と称される。その著『礼記』が伝わっている。
曰國風 曰(い)はく国風(こくふう)
曰雅頌 曰(い)はく雅頌(がしょう)
號四詩 四詩(しし)と号(ごう)す
當諷詠 当(まさ)に諷詠(ふうえい)すべし
【通釈】国風、雅(小雅、大雅)、頌は四詩と称す。吟詠すべきものである。
【注】○国風=『詩経』中の地方の国々の民謡。○雅=『詩経』の中の天子、諸侯の宴会に用いられた歌謡。小雅と大雅に分かれている。○頌=『詩経』の中の宗廟で用いられた楽歌。
詩既亡 詩(し)既(すで)に亡(ほろ)び
春秋作 春秋(しゅんじゅう)作(おこ)る
寓襃貶 襃貶(ほうへん)を寓(ぐう)し
別善惡 善悪(ぜんあく)を別(わか)つ
【通釈】詩が滅ぶと、孔子は『春秋』を著し、そこに襃貶を寓し、善悪を区別した。
三傳者 三伝(さんでん)は
有公羊 公羊(くよう)有(あ)り
有左氏 左氏(さし)有(あ)り
有穀梁 穀梁(こくりょう)有(あ)り
【通釈】三伝とは、『春秋公羊伝』、『春秋左氏伝』、『春秋穀梁伝』である。
經既明 経(けい)既(すで)に明(あき)らかにして
方讀子 方(まさ)に子(し)を読(よ)み
撮其要 其(そ)の要(よう)を撮(と)り
記其事 其(そ)の事(こと)を記(しる)す
【通釈】六経に明らかになって、はじめて諸子を読み、その要点をとり、その内容を記憶するのである。
五子者 五子(ごし)は
有荀揚 荀揚(じゅんよう)有(あ)り
文中子 文中子(ぶんちゅうし)
及老莊 及(および)び老荘(ろうそう)
【通釈】五子とは荀子、揚雄、文中子及び老子、荘子である。
【注】○荀=荀子。荀況(前三一三?~前二三八?)。戦国時代の思想家。○揚=揚雄(前五三~後一八)前漢末の学者、文章家。字は、子雲。○文中子=王通(五八四~六一八)隋代の思想家。○老荘=老子と荘子。
經子通 経子(けいし)通(つう)じて
讀諸史 諸史(しょし)を読(よ)み
考世系 世系(せいけい)を考(かんが)へ
知終始 終始(しゅうし)を知(し)る
【通釈】経典と諸子に通じたならば、諸史を読み、歴代の系譜を考え、王朝の終始を知るのである。
自羲農 羲農(ぎのう)より
至黃帝 黄帝(こうてい)に至(いた)るまで
號三皇 三皇(さんこう)と号(ごう)し
居上世 上世(じょうせい)に居(を)り
【通釈】伏羲、神農、黄帝を三皇と呼ぶ。上古の世にいた。
【注】○羲農=伏羲と神農。いずれも伝説上の帝王。○黄帝=伝説上の帝王。種々の文物制度を定めたといわれる。
唐有虞 唐有虞(とうゆうぐ)
號二帝 二帝(にてい)と号(ごう)す
相揖遜 相(あひ)揖遜(ゆうそん)して
稱盛世 盛世(せいせい)と称(しょう)す
【通釈】堯と舜とは二帝と号する。二人はそれぞれ有徳の人材に位を譲り、その治世を盛世と称する。
【注】○唐=帝堯。姓は、陶唐氏。○有虞=帝舜。姓は、有虞氏。○揖遜=禅譲。堯は舜に位を譲り、舜は禹に位を譲った。
夏有禹 夏(か)の有禹(ゆうう)
商有湯 商(しょう)の有湯(ゆうとう)
周文武 周(しゅう)の文武(ぶんぶ)
稱三王 三王(さんおう)と称(しょう)す
【通釈】夏の禹王、殷の湯王、周の文王・武王は三王と称する。
夏傳子 夏(か)は子(こ)に伝(つた)へ
家天下 天下(てんか)を家(いへ)とす
四百載 四百載(しひゃくさい)
遷夏社 夏(か)の社(しゃ)を遷(うつ)す
【通釈】夏は位を子孫に伝え、天下を家とした。四百年後、その国を殷にうつすこととなった。
【注】○夏=禹王によって開かれたという王朝。○四百年=夏王朝は十七代、約四百年存続したといわれる。○社=社稷。国家。
湯伐夏 湯(とう)夏(か)を伐(う)ち
國號商 国(くに)を商(しょう)と号(ごう)す
六百載 六百載(ろっぴゃくさい)
至紂亡 紂(ちゅう)に至(いた)りて亡(ほろ)ぶ
【通釈】湯王は夏を伐ち、国を商と号し、六百年後、紂王に至って滅亡した。
【注】○六百載=殷王朝は三十代、六百年以上続いたとされる。
周武王 周(しゅう)の武王(ぶおう)
始誅紂 始(はじ)めて紂(ちゅう)を誅(ちゅう)し
八百載 八百載(はっぴゃくさい)
最長久 最(もっと)も長久(ちょうきゅう)なり
【通釈】周の武王は始めて紂王を誅殺して、周王朝を開いた。周は八百年にわたって存続し、最も長く続いた王朝であった。
周轍東 周(しゅう)東(ひがし)に轍(てつ)し
王綱墜 王綱(おうこう)墜(お)ち
逞干戈 干戈(かんか)を逞(たくま)しくし
尚游說 遊説(ゆうぜい)を尚(たふと)ぶ
【通釈】周王朝が都を東の洛陽に遷すと、王権は衰え、やがて戦いをほしいままにし、遊説の士を尚ぶこととなった。
【注】○周轍東=前七七〇年、平王の時、都を河南省の洛水の沿岸に遷したことをいう。○干戈=戦争。
始春秋 春秋(しゅんじゅう)に始(はじ)まり
終戰國 戦国(せんごく)に終(をは)る
五霸強 五霸(ごは)強(つよ)く
七雄出 七雄(しちゆう)出(い)づ
【通釈】春秋時代から始まり戦国時代まで、五人の霸者がつぎつぎに威を振い、七つの強国が出現した。
【注】○五霸=斉の桓公、晉の文公、秦の穆公、宋の襄公、楚の荘王。○七雄=韓、魏、趙、斉、秦、楚、燕の七国。
嬴秦氏 嬴秦氏(えいしんし)
始兼并 始(はじ)めて兼(か)ね并(あは)せ
傳二世 二世(にせい)に伝(つた)へ
楚漢爭 楚漢(そかん)争(あらそ)ふ
【通釈】秦王嬴政は、始めて天下を統一し、二世皇帝に伝えたが、間もなく楚と漢が覇権を争うこととなった。
【注】○嬴秦氏=秦王嬴政(前二五九~前二一〇)は、前二二一年、天下を統一し、始皇帝となった。○二世=秦の二世皇帝胡亥(前二三〇~前二〇七)。○楚漢=項羽(前二三二~前二〇二)と劉邦(前二五六~前一九五)。
高祖興 高祖(こうそ)興(おこ)りて
漢業建 漢業(かんぎょう)建(た)ち
至孝平 孝平(こうへい)に至(いた)りて
王莽簒 王莽(おうもう)簒(うば)ふ
【通釈】漢の高祖が興起し、漢王朝を開いたが、平帝に至って王莽が簒奪した。
【注】○高祖興=劉邦。○孝平=平帝(在位 前一~後五)○王莽=(前四五~後二三)紀元八年、漢王朝を廃して新を建てたが、二三年、劉玄の兵に殺されて滅んだ。
光武興 光武(こうぶ)興(おこ)り
為東漢 東漢(とうかん)と為(な)す
四百年 四百年(しひゃくねん)
終於獻 献(けん)に終(おは)る
【通釈】光武帝が興起し、王朝を開いた。これを東漢(後漢)という。漢王朝は前漢、後漢あわせて四百年あまり続き、献帝にいたって滅んだ。
【注】○光武=後漢の光武帝劉秀(前六~後五七)。○献=献帝。劉協(在位 一九〇~二二〇)。後漢の最後の皇帝。
魏蜀吳 魏蜀呉(ぎしょくご)
爭漢鼎 漢鼎(かんてい)を争(あらそ)ふ
號三國 三国(さんごく)と号(ごう)し
迄兩晉 両晋(りょうしん)に迄(およ)ぶ
【通釈】魏蜀呉の三国が漢の鼎を争った。この時代を三国時代と呼び、やがて西晋、東晋にいたる。
【注】○漢鼎=漢王朝の帝位。※「魏蜀呉」は、「蜀魏呉」に作るテキストもある。
宋齊繼 宋斉(そうせい)継(つ)ぎ
梁陳承 梁陳(りょうちん)承(う)く
為南朝 南朝(なんちょう)と為(な)し
都金陵 金陵(きんりょう)に都(みやこ)す
【通釈】宋斉梁陳が継承した。これを南朝といい、いずれも金陵に都した。
【注】○宋斉=宋王朝(四二〇~四七九)と斉王朝(四七九~五〇二)○梁陳=梁王朝(五〇二~五五七)と陳王朝(五五七~五八九)○金陵=現在の江蘇省南京市。
北元魏 北元魏(ほくげんぎ)
分東西 東西(とうざい)を分(わ)かち
宇文周 宇文周(うぶんしゅう)と
與高齊 高斉(こうせい)と
【通釈】北朝は北魏に始まり、東魏と西魏に分かれた。さらに宇文氏の建てた北周が西魏にとってかわり、高氏の建てた北斉が東魏にとってかわった。
【注】○元魏=鮮卑族の拓跋珪が建てた王朝。(三八六~五三四)○東西=東魏(五三五~五五〇)と西魏(五三五~五五六)。○宇文周=宇文氏が建てた北周(五五七~五八一)。○高斉=高氏が建てた北斉(五五〇~五七七)。
迨至隋 隋(ずい)に至(いた)るに迨(およ)び
一土宇 一土宇(いちどう)
不再傳 再(ふたた)び伝(つた)はらず
失統緒 統緒(とうしょ)を失(うしな)ふ
【通釈】隋に至って天下を統一したが、その天下は再び伝わらず、帝室の世系を失った。
【注】○隋=楊堅が中国を統一して建てた王朝。第二代煬帝が宇文化及に殺されて滅んだ。 ○土宇=天下。○統緒=帝室の世系。
唐高祖 唐(とう)の高祖(こうそ)
起義師 義師(ぎし)を起(お)こし
除隋亂 隋(ずい)の乱(らん)を除(のぞ)き
創國基 国基(こくき)を創(はじ)む
【通釈】唐の高祖は義兵を起こし、隋末の混乱を除きさり、国の基を定めた。
【注】○唐高祖=李淵(五六五~六三五)。
二十傳 二十伝(にじゅうでん)
三百載 三百載(さんびゃくさい)
梁滅之 梁(りょう)之(これ)を滅(ほろ)ぼし
國乃改 国(くに)乃(すなは)ち改(あらた)まる
【通釈】唐は二十代伝わり、約三百年存続し、梁が滅ぼし国が改まった。
【注】○二十伝=唐の皇帝は、高祖、太宗、高宗、中宗、睿宗、玄宗、粛宗、代宗、徳宗、順宗、憲宗、穆宗、敬宗、文宗、武宗、宣宗、懿宗、僖宗、昭宗、哀帝の二十人。○三百載=唐王朝は六一八年から九〇七年まで、二八九年間存続した。○梁滅之=九〇七年、朱全忠が唐王朝を滅ぼし、国号を梁とした。後梁と呼ばれる。
梁唐晉 梁唐晋(りょうとうしん)
及漢周 及(およ)び漢周(かんしゅう)
稱五代 五代(ごだい)と称(しょう)す
皆有由 皆(みな)由(よ)ること有(あ)り
【通釈】後梁、後唐、後晋及び後漢、後周を五代と称する。その興亡にはそれぞれ皆理由がある。
【注】○梁唐晋=後梁(九〇七~九二三)後唐(九二三~九三六)後晋(九三六~九四六)。○漢周=後漢(九四七~九五〇)後周(九五〇~九六〇)。
炎宋興 炎宋(えんそう)興(おこ)り
受周禪 周(しゅう)の禅(ゆづ)りを受(う)け
十八傳 十八伝(じゅうはちでん)
南北混 南北(なんぼく)混(こん)ず
【通釈】宋王朝が興り、後周の禅譲を受け、北宋、南宋併せて十八代伝わった。
【注】○炎宋=北宋王朝(九六〇~一一二七)。五行の火徳をもって王となったとされ、炎宋とも呼ばれる。○十八伝=北宋、南宋の皇帝は、太祖、太宗、真宗、仁宗、英宗、神宗、哲宗、徽宗、欽宗、高宗、孝宗、光宗、寧宗、理宗、度宗、恭宗、端宗、衛王の十八人。※テキストによっては、この後遼、金、元、明についての記述があるが、我が国にもたらされたものは、宋の記述で終わっている。
十七史 十七史(じゅうしちし)
全在茲 全(まった)く茲(ここ)に在(あ)り
載治亂 治乱(ちらん)を載(の)せ
知興衰 興衰(こうすい)を知(し)る
【通釈】十七史の大略は全てここに示されている。史書には治乱の過程が記されており、史書を読むことで興亡の所以を知ることができる。
【注】十七史=史記、漢書、後漢書、三国志、晋書、宋書、南斉書、梁書、陳書、魏書、北斉書、周書、隋書、南史、北史、唐書、五代史。※宋代以後の歴史について記すテキストは、「十七」を「廿二」に作る。
讀史者 史(し)を読(よ)む者(もの)は
考實錄 実録(じつろく)を考(かんが)へ
通古今 古今(ここん)に通(つう)じ
若親目 親目(しんもく)するがごとし
【通釈】史書を読む者は、実事に基づいて考察し、古今に通じること目の当たりに見るようにするのである。
口而誦 口(くち)にして誦(しょう)し
心而惟 心(こころ)にして惟(おも)ひ
朝於斯 朝(あさ)にも斯(ここ)に於(おい)てし
夕於斯 夕(ゆうべ)にも斯(ここ)に於(おい)てす
【通釈】読書をするには、口に唱え、思索し、朝も夜もつとめるのである。
【注】○口而誦……=この段を前段につなげ、史書を読む際のこととする解釈もある。
昔孔子 昔(むかし)孔子(こうし)は
師項橐 項橐(こうたく)を師(し)とす
古聖賢 古(いにしへ)の聖賢(せいけん)すら
尚勤學 尚(な)ほ勤(つと)め学(まな)ぶ
【通釈】昔孔子は項橐を師としたという。古の聖賢ですら学に勤めたのである。
【注】○仲尼=孔子の字。○項橐=魯の国の神童の名。※「孔子」は、「仲尼」に作るテキストもある。
趙中令 趙中令(ちょうちゅうれい)
讀魯論 魯論(ろろん)を読(よ)む
彼既仕 彼(かれ)既(すで)に仕(つか)へ
學且勤 学(まな)び且(か)つ勤(つと)む
【通釈】中書令の趙普は常に論語を読んでいた。彼は仕えていながら学び且つ勤めたのである。
【注】○趙中令=中書令の趙普(九二二~九九二)。宋建国の功臣。後に宰相となった。彼が論語を読んでいたことは、『宋史』にも記されている。○魯論=『論語』。
披蒲編 蒲編(ほへん)を披(ひら)き
削竹簡 竹簡(ちくかん)を削(けづ)る
彼無書 彼(かれ)書(しょ)無(な)きも
且知勉 且(か)つ勉(つと)むるを知(し)る
【通釈】漢の路温舒は蒲を適当な長さに切って綴り合わせた書物を開き、また漢の公孫弘は竹簡を削っては書籍を写して学に励んだという。彼らは書物がなかったが、努力して学ぶことを知っていたのである。
【注】○披蒲編=漢の路温舒は、幼いころ羊を放牧していたおり、蒲を適当な長さに切って綴り合わせ、書物のようにしてそこに文字を書いて勉強したという。のちに太守にまで出世した。○削竹簡=漢の公孫弘(前二〇〇~前一二一)は、貧しく、四十歳を過ぎても豚の放牧をして生計をたてていたが、竹簡を削ってそこに春秋を書き写して学んだという。
頭懸梁 頭(かうべ)を梁(はり)に懸(か)け
錐刺股 錐(きり)を股(もも)に刺(さ)す
彼不教 彼(かれ)教(をし)へざれども
自勤苦 自(みづか)ら勤(つと)め苦(つと)む
【通釈】晋の孫敬は、眠気に襲われることを恐れ、縄を頭にかけ、それを梁につないで読書したという。また戦国時代の蘇秦は、眠くなると錐を股に刺して学び続けたという。彼らは教えられたのではなく、自ら勤め努力したのである。
【注】○孫敬=字は文宝。いつも戸を閉ざして読書していたので、閉戸先生とよばれた。○蘇秦=?~前三一七。戦国時代の遊説家。字は季子。合従策を唱えて六国を同盟させ、秦に対抗した。
如嚢螢 如(も)しくは蛍(ほたる)を嚢(ふくろ)にし
如映雪 如(も)しくは雪(ゆき)に映(えい)ず
家雖貧 家(いへ)貧(まづ)しと雖(いへど)も
學不輟 学(まな)びて輟(や)まず
【通釈】晋の車胤は蛍を嚢に入れ、その明りで読書し、また孫康は、雪の明りで読書していたという。彼らは家は貧しかったが、学んでやめることがなかった。
【注】○嚢蛍=晋の車胤は、貧しくて油を買うことができなかったので、夏の夜には袋に数十匹の蛍を入れて、その光で読書をした。○映雪=晋の孫康は、貧しくて油を買うことができず、冬は雪明かりで読書をした。
如負薪 如(も)しくは薪(たきぎ)を負(お)ひ
如挂角 如(も)しくは角(つの)に挂(か)く
身雖勞 身(み)は労(ろう)すと雖(いへど)も
猶苦卓 猶(な)ほ卓(たか)きを苦(つと)む
【通釈】漢の朱買臣は薪を負いながら読書し、隋の李密は、牛に乗り、その角に書物を挂けつつ読書したという。彼ら苦労しながら衆から抜きん出ることにつとめたのである。
【注】○如負薪=漢の朱買臣は、家が貧しかったが読書を好み、四十歳を過ぎて薪を売って生活していた。常に薪を背負って歩きながら読書していたという。その後会稽の太守に至った。○如挂角=隋末の群雄の李密(五八二~六一八)は、牛に乗り、その角に『漢書』を掛け、項羽の伝を読んでいたという。
蘇老泉 蘇老泉(そろうせん)は
二十七 二十七(にじゅうしち)
始發憤 始(はじ)めて憤(いきどほ)りを発(はっ)し
讀書籍 書籍(しょせき)を読(よ)む
【通釈】蘇洵は二十七歳にして始めて発憤して書籍を読んだ。
【注】○蘇老泉=蘇洵(一〇〇九~一〇六六)、号は老泉。宋代の文章家。息子の蘇軾、蘇轍とともに三蘇と呼ばれる。唐宋八大家の一人。晩学で、科挙に落ちて発奮し、読書にはげみ、後に名を成した。
彼既老 彼(かれ)既(すで)に老(お)いて
猶悔遅 猶(な)ほ遅(おそ)きを悔(く)ゆ
爾小生 爾(なんぢ)小生(しょうせい)
宜早思 宜(よろ)しく早(はや)く思(おも)ふべし
【通釈】彼は老いて、学問をするのが遅かったことを後悔した。お前たち後生の者は早く学問しようと思わなくてはいけない。
若梁灝 梁灝(りょうこう)がごときは
八十二 八十二(はちじゅうに)にして
對大廷 大廷(たいてい)に対(たい)し
魁多士 多士(たし)に魁(かい)たり
【通釈】例えば梁灝は八十二歳で、朝廷の外廷で天子の策問に対え、多くの士人たちの魁首となった。
【注】梁灝=五代末から宋にかけての人。北宋の雍熙二年(九八五)、太宗の策問に答えて進士となった。時に八十二歳だった。
彼既成 彼(かれ)既(すで)に成(な)り
衆稱異 衆(しゅう)異(こと)なりと称(しょう)す
爾小生 爾(なんぢ)小生(しょうせい)
宜立志 宜(よろ)しく志(こころざし)を立(た)つべし
【通釈】彼は老年にいたって名を成し、人々は皆優れて異なっていると称えた。お前たち後生の者は、学問しようとする志を立てなくていけない。
瑩八歲 瑩(えい)は八歳(はっさい)にして
能詠詩 能(よ)く詩(し)を詠(えい)じ
泌七歲 泌(ひつ)は七歳(しちさい)にして
能賦棊 能(よ)く棊(き)を賦(ふ)す
【通釈】祖瑩は八歳で詩を詠じることができ、李泌は七歳で棊の詩を賦した。
【注】○瑩=北魏の祖瑩。字は元珍。八歳で『詩経』や『書経』を朗唱した。学問を好み、両親が心配して止めるほどだったという。○泌=唐の李泌。字は長源。玄宗皇帝に召され、「方」「円」「動」「静」を読み込んだ詩を作って称賛された。
彼穎悟 彼(かれ)は穎悟(えいご)にして
人稱奇 人(ひと)奇(き)と称(しょう)す
爾幼學 爾(なんぢ)幼学(ようがく)
當效之 当(まさ)に之(これ)に效(なら)ふべし
【通釈】彼らは若くして聡明であり、人々はその優れていることを称えた。お前たち幼くして学ぶ者は彼らに倣わなくてはいけない。
蔡文姬 蔡文姫(さいぶんき)は
能辨琴 能(よ)く琴(こと)を弁(べん)じ
謝道韞 謝道韞(しゃどううん)は
能詠吟 能(よ)く詠吟(えいぎん)す
【通釈】蔡文姫は琴のどの弦が切れたかを聞き分けることができ、また謝道韞は詩賦を作ることができた。
【注】○蔡文姫=後漢の蔡琰。彼女は父親蔡邕の弾く琴の弦が切れた時、どの弦が切れたかを聞き分けたという。○謝道韞=晋の謝安の兄の娘。彼女は幼くして詩を賦すことができたという。
彼女子 彼(かれ)女子(じょし)にして
且聰敏 且(か)つ聡敏(そうびん)
爾男子 爾(なんぢ)男子(だんし)
當自警 当(まさ)に自(みづか)ら警(いまし)むべし
【通釈】彼らは女性であって、聡明であった。お前たち男子は自らいましめなくてはいけない。
唐劉晏 唐(とう)の劉晏(りゅうあん)
方七歲 方(まさ)に七歳(しちさい)
舉神童 神童(しんどう)に挙(あ)げられ
作正字 正字(せいじ)と作(な)る
【通釈】唐の劉晏は七歳にして神童に挙げられ、太子正字となった。
【注】○劉晏=唐を代表する財政家。安史の乱後の国家財政の立て直しに力を尽くした。八歳の時に玄宗皇帝に頌を奉って太子正字の官を賜り、神童と称された。○正字=太子正字。図書の校正などを司る官。
彼雖幼 彼(かれ)は幼(よう)と雖(いへど)も
身已仕 身(み)已(すで)に仕(つか)ふ
爾幼學 爾(なんぢ)幼学(ようがく)
勉而致 勉(つと)めて致(いた)せ
有為者 為(な)すこと有(あ)る者(もの)は
亦若是 亦(ま)た是(か)くのごとし
【通釈】彼は幼かったが、もう仕えていた。お前たち幼くして学ぶ者は、努力して学問をせよ。有為の人物は皆このようである。
犬守夜 犬(いぬ)は夜(よる)を守(まも)り
雞司晨 鶏(にはとり)は晨(あした)を司(つかさど)る
苟不學 苟(いやし)くも学(まな)ばずんば
曷為人 曷(なん)ぞ人(ひと)と為(な)さん
【通釈】犬は夜に家を守り、鶏は夜明けを告げ、それぞれ人の役に立っている。もしも人が学ばなければ、どうして人と称することができよう。
蠶吐糸 蚕(さん)は糸(いと)を吐(は)き
蜂醸蜜 蜂(はち)は蜜(みつ)を醸(かも)す
人不學 人(ひと)学(まな)ばずんば
不如物 物(もの)に如(し)かず
【通釈】蚕は糸を吐いて絹をもたらし、蜂は蜜を醸す。人が学ばなければ、物にも及ばないのである。
幼而學 幼(よう)にして学(まな)び
壯而行 壮(そう)にして行(おこな)ふ
上緻君 上(かみ)は君(きみ)を致(いた)し
下澤民 下(しも)は民(たみ)を沢(うるほ)し
揚名聲 名声(めいせい)を揚(あ)げ
顯父母 父母(ふぼ)を顕(あらは)し
光於前 前(まへ)を光(て)らし
裕於後 後(のち)を裕(ゆた)かにせよ
【通釈】幼くして学び、壮年になり官につきその道を行い、上は国のために力を尽くし、下は黎民に幸せをもたらすのである。そして名声を上げ、父母を顕彰し、先祖をかがやかし、子孫をゆたかにせよ。
【注】致君=主君を堯や舜のような聖天子にする。
人遺子 人(ひと)は子(こ)に遺(のこ)すに
金満嬴 金(きん)嬴(えい)に満(み)つ
我教子 我(われ)は子(こ)に教(をし)ふるに
惟一經 惟(た)だ一経(いっけい)
【通釈】人は子に袋一杯の黄金を遺すであろうが、私は子に教えるのは、ただ一冊の経書だけである。
【注】○嬴=袋。一説に、箱。○一経=一冊の経典。一説に、三字経を指すとする。
勤有功 勤(つと)むれば功(こう)有(あ)り
戲無益 戯(たはむ)るれば益(えき)無(な)し
戒之哉 之(これ)を戒(いまし)めよや
宜勉力 宜(よろ)しく勉(つと)め力(つと)むべし
【通釈】努力して学べば功業があるであろう。戯れ怠ればなんの益も無いであろう。つつしみなさい。しっかりと努力しなくてはならない。
三字経自体の著作権は消滅しているが、通釈・注の著作権は加藤敏教授にあり、大修館書店ホームページ「漢字文化資料館」よりの転載であること、訓読・通釈・注は加藤敏教授のものであることを注記しておく。