基本関係式

仮定1について詳しく見てゆこう。分子の種類がt種類存在する系であれば仮定1は以下のような形の式として示すことができる。

Picture13(9)

また、仮定3で要請されているエントロピーの良好な解析性により、エントロピーはその変数であるU, V, Nについてそれぞれ一意的に解くことができる。例えば内部エネルギーUについて(9)式を解くと以下の式が得られる。

Picture12(10)

これらの式は基本関係式fundamental relationと呼ばれており、(9)式をエントロピー表示entropy representationの基本関係式、(10)式をエネルギー表示energy representationの基本関係式と呼ぶ。それぞれの基本関係式の変数にも特別な呼び方がある。まずエントロピー表示の基本関係式の変数であるU, V, N1, N2, …, Ntをエントロピーの自然な変数natural variables of entropy、そしてエネルギー表示の基本関係式の変数であるS, V, N1, N2, …, Ntをエネルギーの自然な変数natural variables of energyと呼ぶ。ここでは(9)式から(10)式を導いたが、逆に(10)式から一意的に(9)式を導くこともできるため、(9)式と(10)式は完全に等価である。つまりどちらを用いても完全に熱力学的な状態を記述できる。

基本関係式が特別なのは、ある系の基本関係式が分かれば、すべてのとり得る熱力学的な変数の組み合わせを導くことができるからである。すなわち仮定1が意味することは、UVN(またはSVN、以下同じ)によって平衡状態が決定されるということに他ならず、そのときに系が持つUVN以外の物性値は一意的に決まる。別の言い方をすれば、ある初期状態を持つ系を操作してさまざまな状態に変化させたとき、もし元のUVNに戻すことができれば、元の状態と操作した後の状態はUVN以外の変数についても変化の過程に関わらず完全に一致する。熱力学が平衡状態のみに注目し、変化の経路に依存しないアプローチであるという特徴がここでも現れている。

また、これは平衡状態とエントロピーの定義に係る話でもあるのだが、エントロピーは平衡状態のみに定義される量であり、熱力学的平衡状態にない系については何も言及しない。したがって、非平衡状態ではエントロピーを示量性変数のみの関数として表現することはできない。

ところで、エントロピーがいくつかの状態量の関数になっていることは納得できると思う。熱力学もやはりエネルギー保存則を前提としていることを考えれば、エントロピーがエネルギーの関数になることは直感的に理解できよう。しかしなぜ示量性変数のみを変数として指定するのであろうか? 示強性変数が変数として入ることはないのだろうか? 例えば、エントロピーを温度Tの関数として表すことはできないのか? 実は温度を用いてもエントロピーを定義できるのであるが、後で行うルジャンドル変換という数学的変形において話がややこしくなるので、あえて使わないようにしているだけである。熱力学を勉強していて分かりづらいのは、同じ量について2通り以上の表記方法がしばしば存在することである。つまり、ある量がいくつかの変数の関数として表されているときに、一方で同じ量を別の変数の関数として表すことがよくある。このときに注意しなければならないのは、表し方によって微分や積分についての解析的性質が異なるということである。微積分は不連続な点や面がなく滑らかに変化する単調増加または単調減少の曲面であれば簡単だが、そうでないときは場合分けや条件判定が複雑になり解析が難しくなる。解析的性質と言っているのはまさにこのことで、変数をうまく選択して後に控える数学的処理を楽に済ませたいという魂胆があるので、エントロピー表示の基本関係式を示量性変数の関数として要請しただけである。このような不自然な要請が突然出てきてしまうのは数学的な計らいであり、熱力学の本質ではないのだが、分からなくなるポイントの一つであると思うので注意されたい。余談であるが、この示量性変数のみを自然な変数として熱力学の基本関係式を表現する流儀を提唱したのはウィラード・ギブズWillard Gibbsという人である。名前くらい聞いたことがあるでしょう?